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日本語教師のためのよくわかる著作権 第1回 著作権ってなぁに?

「著作権」と聞くと、気になるワードではあるけれど「なんだか難しくてよくわからない」と、ちょっとかまえてしまっている日本語教師の皆さんも多いのでは?日々、著作権関連の実務に携わり、日本語教師向けの著作権セミナーも積極的に行っている我妻潤子さんのコラム「日本語教師のためのよくわかる著作権」を3回シリーズでお届けします!

権利者の立場からみてみる著作権

一般的に著作権の入門書は、著作物を利用する際に気を付けなければならないことが書かれています。しかし、教材を自作することの多い日本語教師の皆さんは、すでに著作者であり著作権者になりうる人です。そこで、第1回目の本コラムでは、よくある利用者としての著作権ではなく、反対の立場である著作者・著作権者としての視点で著作権を考えてみたいと思います。

著作権というのは、著作物を作った人=著作者が持つ権利です。著作物とは、作り手が自分らしさを込めて作った唯一無二のものです。「唯一無二」と表現すると、高尚なイメージを持たれますが、子どもが描いた絵、お父さんが撮った子供の運動会の映像など高尚かどうかは関係なく全てが著作物となります。反対に、単なる事実や自分らしさが込められないほどの単純な作品は著作物になる可能性が低いと言えます。著作物を作ると、田中さんは著作者になり著作権を自動的に保有します。そして、著作権を持っている人のことを著作権者といいます。ただし、著作物を作ったからといって、かならずしも著作者が著作権者であり続けるわけではありません。この点は注意が必要です。なので「著作者」=「著作権者」というわけにはいかず、言葉を使い分けています。また既述の通り、著作物が作られた時点で著作権は自動的に生じ、どこかの役所に登録するような類の権利ではありません。

では、著作者でもあり著作権者でもある田中さんはどんな権利をもつのでしょうか。「著作権」とは端的に言えば、自分が作った著作物を第三者に勝手に利用させない権利というものです。この「勝手に」という点が重要です。利用したい人から申し出があった際に利用を許すか否か、利用を許す際にはどういう条件提示するのかという決定ができる権利なのです。時々「私の教材が勝手に使われていた」という声を聞きますが、この場合も、もし著作権者が自分の著作物が勝手に使われることを願っていないならば、面倒でも著作権者は自ら声をあげなければならないというわけです。

権利の種類とそれぞれの特徴

では、どんな時に声をあげることができるのか。「著作権」は大きく分けて2つの権利に分かれます。「著作者人格権」と「著作財産権」です。詳しい権利の内容は図1を参照ください。「著作者人格権」と「著作財産権」はどちらも声を上げることができる権利ですが、本コラムでは「著作財産権」に焦点をあてていきます。

                   図1

著作財産権は著作物を貨幣に交換可能な財産とみなします。無償で譲渡することもできますし、譲渡の際に金銭授受が行われる場合もあります。譲渡先も誰でも構いません。これが先に述べた、著作権者が必ずしも著作者ではないという理由です。

次に、著作権を理解するにあたりとても重要なキーワード「公衆」についても言及しておきます。著作権における公衆というのは図2のように、「特定少数」以外、つまり「特定多数・不特定少数・不特定多数」の人たちが対象です。著作権は言い換えれば「公衆」に向ける行為について決められた規則なのです。

         図2

例えば、個人的に複製されたことを著作権者が知ったとしても著作権者は声をあげることはできません。ですが、複製したものを「個人的」な範疇を越えて有償無償関係なく多くの人に渡した場合は違います。これは「特定多数」もしくは「不特定多数」つまり「公衆」に渡したということになり、著作権者は、そのような行為を知った場合、声をあげることができます。

ところで、この「個人的」という言葉にも気を付けて下さい。この「個人的」とは個人として何かしたという意味ではなく自分自身のみが楽しむ・活用するという意味での個人です。誰にも見せない秘密の日記に第三者の著作物を記載(複製)するなら「個人的」利用といえますが、インターネットなど「公衆」に発信されるブログに同様のことをすると、「個人的」利用とは言えません。

なぜ著作権が必要なのか

ここまでは著作権と一言でいっても複数の権利の集合体であること、そして著作権の特徴について記してきました。ここでちょっと立ち止まって、どうして「著作権」という権利が必要なのか考えてみたいと思います。著作権の必要性を考えるにあたり、まず日本における著作権の歴史を紐解いてみましょう。

                  図3

もともと19世紀の終わり頃、ヨーロッパでは各国間で互いの国の著作物を守るための条約を作ろうという動きがあり、そのための会議が行われていました。日本はこの会議の3回目にオブザーバーを派遣。まさに、その3回目の会議で各国間の著作物を守るベルヌ条約が成立したのです。その後日本でも「版権条例」や「版権法」が制定されました。ですが、これはベルヌ条約の影響ではなく、江戸時代からある版木の所有権である「板権」の流れを組むものでした。というのもベルヌ条約の成立の場にいながらも、当時の日本は、著作権法の成立よりも幕末に締結した不平等条約をどうにかしたいという思いの方が強かったのです。ところが、この不平等条約を改正するための最初の条約となった日英通商航海条約を締結する際に、ベルヌ条約に加盟することを約束することになったのです。このことにより明治32年に日本における著作権法が制定されました。

現在施行されている著作権法は1971年に制定されたものですが、本質的な改変の必要がなかった法律だと言えます。別の見方をするなら、近年まで著作権が積極的に注目されることはなかったという事実の表れです。というのも、そもそも、一個人が写真や映像などの著作物を世界に向けて自由に発信することが出来る方法(媒体)がありませんでした。ゆえに、著作権は作家や芸術家・学者などマスメディアに登場する特別な人の権利だと思われていたのです。

ですが、2010年代ころから、急速に、著作権が人々にとって身近になり始めました。パーソナル・コンピューターが一般家庭に普及し始め、インターネットという革新的な媒体の登場でブログ・SNSなどが定着し「一億総クリエイター」という時代が到来しました。これまでは「個人的」に作られていた著作物(日記、手紙、絵画作品など)が、いまや簡単に公表することができます。また、誰が作ったのか著作者を容易に特定することが可能になり、著作権を取り巻く環境が大きく変わりました。それに伴い著作権という法律も大小の差はあれども毎年のように改正が行われています。こういった点からも、利用者の立場だけではなく権利者にもなる可能性の高い日本語教師の皆さんが著作権について、ふと立ち止まって考えてみるべき時が来たのではないでしょうか。

一人一人が著作権者となる時代

「著作権」「必要性」と検索エンジンで調べると、文化庁やJASRAC*1がトップに出てきます。文化庁の「みんなのための著作権教室」などをみてみましょう。このサイトには「著作物を生み出す著作者の努力や苦労に報いることによって、日本の文化全体が発展できるように、著作物の正しい利用をうながし、著作権を保護する」と書かれています。またJASRACはどうでしょうか。JASRACの「著作権保護の必要性」では「作品への対価が次の創作を支えていく循環を「創造のサイクル」と呼んでいます。著作権は、「創造のサイクル」を循環させ、新たな文化を生み出すために欠かせないものです」と書いてあります。しかし、これは「一億総クリエイター」の時代において十分な著作権のとらえ方ではないと思います。文化庁もJASRACも従来の特権階級的なクリエイターを権利者として想定するという落とし穴にはまっているように見えます。様々な考えを持つ著作権者がいるという視点が抜け落ちています。例えば、無償でもいいから是非、自分の教材を使ってもらいたいという人たちです。自分が苦労して作った日本語の教材を、無償でインターネット公開し、多くの人に利用されることに喜びを見出せる人もいます。このような人たちに目を向ければ、著作権とは金銭を催促するだけの権利ではないことに気付きます。

上記の例は一例にすぎませんが、利用時の有償無償だけではなく、営利利用や改変不可など他にも多様な主張をする著作権者がいると想定されるべきです。この多様性を踏まえるなら、著作権とは、自分の著作物に対して、著作者として責任をもって、何かしらの主張をすることができる権利だといえるでしょう。だからこそ、利用についての約束事を提示するなどして、著作権者は声をあげる必要があります。声をあげるというのは、侵害されたことに対してだけはなく、こういう条件だったら利用して下さいというアピールの意図も含まれるのです。これまで、著作権は特別な権利だったので、権利者も受け身でいられました。利用したいという申し出があって初めて利用条件を考えればよかった時代でした。しかし、インターネットが日常的に使われ、コピペが簡単にでき、だれでもが発信ができる時代においては、著作者は著作物を作って終わりではなく、権利者として意思表示をすることまでが求められるといえます。ちょっとした意識の変革で、円滑な著作物利用が進むのです。著作権は決して腫物ではなく、もっと身近なものとして捉えてみてもらいたいと思います。

執筆:我妻潤子

株式会社テイクオーバル コンテンツライツ事業部長、AIPE認定知財アナリスト(コンテンツ・ビジネス)、東京藝術大学非常勤講師。生徒、学生、教員の他、日本語教師を対象とした著作権についてのセミナーや講演の講師を務め、特に利用者、権利者の両面からの解説には定評がある。

*1:「一般社団法人日本音楽著作権協会」https://www.jasrac.or.jp/index.html

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