『できる日本語』導入のきっかけは『漢字たまご』
――まずは学校として教科書を『できる日本語』に変えようと思ったきっかけをお聞きしたいと思ったのですが……川口先生はすでに変えることが決まっているタイミングでこちらにいらっしゃったとか。
はい、実はそうなんです。2018年の7月からここで勤務を開始したのですが、来たときにはもう使うことが決まっていました。実際に学校で教科書を切り替えたのは入って数カ月後の2018年の10月からです。聞いたところによると、非漢字圏の学生の割合が増えてきて、もうちょっと漢字に力を入れなきゃいけないねってことになっていて、「できる日本語」シリーズの『漢字たまご』(凡人社)から使い始めたということなんです。
それで『漢字たまご』と『できる日本語』の著者の方は同じグループなので、『漢字たまご』のコンセプトなどを前任者が著者の方に聞きに伺った際に『できる日本語』も紹介していただいたということがあったそうで、先生方の頭に「良さそうな教科書だな」ということが漠然と残っていたことが変更につながったようです。
そこから本格的に教科書を変えようかというときには、嶋田先生による勉強会を何回か実施していただき、非常勤の先生方も含めて全員で参加したそうです。新しいものを入れることにあまり抵抗がない先生方が多くて、新しい考え方に飛びつくような先生が多かったようですね。
変える過程の細かいところは私自身わからない部分ではあるのですが、YMCA自体が「地域との関わり」というのをすごく大切にしている組織なので、周りとどんどんつながって広がっていける教科書を選ぶというのはとてもYMCAらしいなと思ったのは覚えています。
『できる日本語』は私もここに来るまで使ったことがなかったのですが、読み込めば読み込むほど、YMCAに合っているなということは感じました。これまでに勤めていたところは授業運びは教師主導が当たり前ということを疑わずにやっていたような感じで、それはちょっと違うのではというモヤモヤした気持ちを持ちながら勤めていました。でも『できる日本語』を見て、この教科書で「教師主導の授業運び」というのを変えられるのかなと楽しみな気持ちがありました。学生たちが受け身でなくて自分で考えて判断するようになってほしいという学校理念もありますので、それと合っているな、うまく使っていきたいな、と思いましたね。
授業準備の時間が急に減って心配に
――実際にご自身がこれまでとは違う教科書を使って授業する、となったときに不安や苦労などはありましたか。
楽しみな気持ちが大きくて、嫌だなとか使いにくいな、とは感じなかったのですが、これまで文法積み上げで来ているので、これで文法は大丈夫かなと心配な部分はありました。『できる日本語』になって、授業準備の時間がぐっと減ったんですよね。これまでは文法ありきで、この文法を使うんだったらどういう場面だろうと考えるところから準備が始まって、それから例文を考えるとかそういうことにすごく頭を抱えていたんですけど、『できる日本語』に変わったら、元々、文法を使う場面・状況が設定してあり、自分で考えなくてよくなったので。苦労してやっていたことをしなくてよくなって本当に不安になりました。
――文法を使う場面・状況を自分で考えるのが好きとか、そこが工夫のしどころなのに、という先生がときどきいたりもしますが。
私はそこはあんまり思わなかったです。ひねり出してひねり出しての状況だったり例文だったりして、その状況や例文が本当に適切なものかというのを判断するのはやっぱり難しいので。ただ準備に時間がかからなくなったので心配になってしまったというだけです(笑)
文法などの学習項目は1回の授業で習得しなくてもいい
――そうだったんですね。
そもそも、授業1回だけでその文法を勉強して定着というほうが難しいという気持ちがあります。勉強して知識としては頭に入れているけど、それを使ってこその定着だと思うので、別に今日だけじゃなくて次の日に使うときにまた思い出したりして、時間をかけて自分のものにしていくものじゃないかなと。その日中にしっかり理解したとか使えるようにしようと思うほうがおこがましいのかな、という考えがあります。
初めからそう考えてはいなかったのですが、ある学生から「私はみんなみたいにすぐに覚えられないし、使えるようにならないから、もう少し長い目で見てほしい」という感じのことを言われたことがあったんです。確かに彼女は最後にはできるようになって日本語を使いこなしていました。それを見て「このスピードで覚えなさい」というのは私のエゴだったと気づかされました。それに学生それぞれに学習スタイルも違いますよね。
だから他の先生方が「今日やっぱりあの人あまりできてなかった」「私のやり方が良くなかったのかな」とおっしゃっていても「いや、今すぐできなくても」という話をさせていただくようにはしています。
――今のお話を聞くと、ちょうどそのお考えは『できる日本語』のスパイラル展開(レベルを超え、同テーマが何度も出てくる・学んだ文型が課の中でも課を超えても何度も出てくるという展開)という特徴ととても相性がいいように思います。
はい、そうですね。だから最初に教科書を読み込んだときに、同じ文法や語彙が「ここでも出てくる、ここでも出てくる」というのがすごいなと思って。しれっと出てくる感じなので最初はそれを見つける作業をしましたね。これは私、考えつかないな、著者の皆さんはすごいな、ありがたいな、と思いながら読み込んでいました。課のスパイラルということでいうと、初級・初中級・中級で1課は自己紹介ですけど、レベルが上がるにつれて、どこで自己紹介するのかが変わってきて、世界が少しずつ広がっているのがわかって、面白かったですね。
初めて使う先生に伝える―「『できる日本語』を使った授業、楽しいですよ」
――今も新しい先生が入ってくることがあると思うのですが、先生たちの研修はどのように組まれていますか。スパイラルのことはどのように伝わるようにしていますか。
まずは、『できる日本語』のコンセプトをお伝えしています。入るときに、メインではこれを使っていますということをお伝えして、事前に教科書を見て来てくださいってお願いして。それでこういう構成になっていて実はここでこうスパイラルになっているんですって説明して、先生方にもスパイラルになっている箇所を一つでも見つけてもらって、なるほど! を感じられるようにしています。
その後、授業見学をするという流れになるのですが、ただ見学をするのではなく、ご自分が担当ならどう授業をするかを準備した上での見学をお願いをしています。授業見学を通して、このやり方で良かったんだと納得できる部分もあれば、全然違う使い方をしていたなと気付く部分もあるので、これを数回行います。そして、模擬授業へ移ります。その後は、しばらく教案提出をお願いしたり、たまに授業見学に入ってフィードバックしたりということを行っていますね。
採用するときにもちろん、『できる日本語』を使いますっていうことはお伝えしています。ご存知の方もいらっしゃれば、初めて聞きましたっていう方もいますけど、それならここの学校には行きませんというような反応は今のところないですね。使ったことがないということであれば、授業に入る前にきちんと使い方の説明の時間がほしいということもしっかりお伝えしています。あと「『できる日本語』を使った授業、楽しいですよ」っていうことも。
会話の中に、ホスピタリティが育っているのを感じて
――確かに、楽しく授業ができる教科書だと思いますが、『できる日本語』を使い始めてからの学校や学生、先生の変化などで気づいたことはありますか。
地域とのつながりをより意識するようになって、ビジターセッションの機会がクラスでも増えています。その授業協力でボランティアの方がいらっしゃったり、いろんな人の出入りが増えて、学校に活気がある感じっていうんですかね。
先生方に関しては「『できる日本語』を使うと授業中、質問して答えをもらう機会が多いから、質問の仕方について今までと違う大変さがある」とおっしゃっているのはよく聞きます。「その答えが欲しかったんじゃない」ということがあったりすると、自分の質問の仕方が悪かったんだなと。でも今までの教科書の場合は質問の仕方の大切さまで気が付かずに授業していたわけなので、学生たちが答えやすい質問の仕方というのがあるんだという気づきがあって。先生方の中で「こう質問したらこういう答えだったんですよ」「私の場合はこうだったよ」っていうような共有をされることが増えたと思います。
それにあんまり学生のことを悪く言わないといいますか、学習スピードの速い遅いとか、できるできないとか、言わなくなったと思います。授業でクラス全体に質問したときに、性格的に「わかっていても声は出さない」という学生もいますよね。授業で話さないからといって面談のときはべらべらしゃべったりすることもあるので、「すごくちゃんとしゃべれたんですよ。やっぱりできるんですよ」って報告し合ったりされています。
学習者が本当に話せるようになっているな、というのは実感しています。別の学校から転校してきた学生がいて、中級クラスに入っているんですけど、その学生がこの学校の学生はとてもよくしゃべるってもうびっくりして、みんなで話す機会が多いってことに初めは戸惑ったと言っていて(笑)
授業でグループ活動のときに全然しゃべらないとか、取り組まないとかいういうことは聞かなくなったなとも思います。グループの中で何も答えないような感じだったら「〇〇さんはどうですか?」って聞いている学生がいたり、「へ~」などとあいづちを上手に打っている学生がいたり。『できる日本語』って相手のことを考えて話すっていうことをすごく大事にしているじゃないですか。だからそういうところ、結構みんな身に付いてきているのかなって。
やっぱり先生に聞かれるより、クラスメイトに「どう?」って聞かれる方が答えやすいと思うんですよね。その国のことを聞きたいとか、趣味のことを知りたいとか、 相手のことをいっぱい知りたいから教えてくれっていうようなアプローチをしている学生たちを見ると、グループでたくさん話す機会を持つっていうのはすごく大事だなと思いました。その中で、日本語っていうだけでなくて表情もそうですし、話している内容だったりとか、ホスピタリティの部分が最初のころにくらべてどんどん育っているのを感じるのは、教科書のいい影響があると思います。
――「他者への配慮」のある談話を大事にしているのも『できる日本語』の特徴の一つですね。教科書のコンセプトがそのように影響しているのですね。
JLPTの対策となる聴解力は日々の積み重ねから
ーーJLPT対策についてはいかがですか。あまりJLPT対策には向いていない教科書だというイメージがあるようなのですが。
いや、私はあまり「JLPTに向いていない」とは思わないですね。特に聴解力はみんなしっかり付くんですよ。グループで話す機会が多いから中国人の話す日本語、ベトナム人の話す日本語っていうのを聞きながら学習しているっていうのもあるのと、「聞いてみよう」と「チャレンジ」の部分とかでしっかり会話の音声がありますよね。それをもう初級の段階からどんどん聞いて聞いて。で、それを全部一言一句わかりなさい、というわけではなくて、まずは何の話をしているかっていうことからわかればというところから始まって、それを毎日当たり前に積み重ねていっているので。
N3ぐらいからは読解の点数がなかなか取れなくなってくるのでN3以上になると読解と聴解の対策授業は一応しています。でも本当に試験の前、集中して3週間ぐらいだけ、テクニック的に必要な箇所や時間配分に慣れるためにやっています。読解って、答えは絶対に文章の中にあるんですけど、 自分の気持ちで答えを探してしまうっていうんですかね。いや、筆者はこう言ってるけど、私はそうは思わないからっていう、「私」の意見を探してしまうっていうところがあるので。
ーー文法についてはどうですか。
文法も『できる日本語 わたしの文法ノート』(凡人社)もありますし、「4つ葉」の部分で前に出てきた文法の意味をまとめて復習できたりもします。『文法ノート』は宿題として使っているんですけど、学生たちがよく間違える箇所を重点的にフィードバックして、また復習してというのはテスト前にやっていますから。
でも『文法ノート』を回収してチェックしたりはしていないですね。自分たちでチェックして、わからなかったら質問してねっていう形を取っているんですけど。学生たちの中にも、しっかり文法はちゃんとわかってないとダメだっていうのがあるんだと思うんですね。
学生たちを信じて任せることで、自律的な活動につなげたい
ーー学生さんたち自身でやるべきことを意識している、ということですね。
文法についてだけではなく、学生たちにあえて手をかけすぎないというのはとても大事なんじゃないかと思っています。にほんご学院の先生は何もやってくれないんだから、自分たちでちゃんとやらないとっていう気持ちが、スタンダードになっていけば。テストだから勉強しなきゃとか、進学についてそろそろ調べなきゃとか、自分たちで気づいて、動いて考えてっていうようになるのがいいと思っています。もう私たち教師は学生たちを信じてるよっていう感じです。この学校の外に出たときに、何でもやってあげていると困るのは学生なので、先生方にもやってあげすぎないでください、我慢してくださいっていうことは伝えています。どうしても手は出したくなっちゃうんですけど。
『できる日本語』でもアルバイトの面接の課を授業でやったりすると、学生が知らない間にアルバイトの面接行っているとか、そういうことも結構増えてきているんです。『できる日本語』を使う前、そういう授業がなかったときは、アルバイトの面接って何を言ったらいいんですか、などという質問も結構あったんですけど、それがもう一切なくなっていますね。授業でやったことは外でも使えるんだ、そのまま持っていけるんだということを身をもって知っているから、自律的に動けるんですね。
――『できる日本語』を使った学びが自律的な活動を助けているのですね。授業で楽しく使って役立てている様子がよく伝わってきました。ありがとうございました。
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