海外で働きたくて
――日本語教師になったきっかけを教えていただけますか。
そうですね。そこに至るまでいろいろあるんですが、簡単に言うと海外で働きたかったということが大きいです。私は元々英語教師を目指していて、大学でも英語教育を専攻していました。卒業後は民間企業に就職したのですが、もう一度英語教師を目指すためにイギリスに留学しました。そこでいろいろな国の学生さんと交流して、帰国後、もう少し外国の方と交流を続けたい、留学する前には意識していなかった外国人の存在が日本にもあるんじゃないかと思いました。それで日本語を教えるというより交流したいということで英語教師の仕事をしながら日本語のボランティアを始めました。その時に友人に 勧められて日本語教育能力検定試験を受けて合格しました。
―日本語教育能力検定試験の勉強は独学でされたのですか。
そうですね。本を買って読んだり過去問をやったりしました。大学で言語学を学んでいたので、流れはわかったというか。ちょうど検定試験のシラバスも変わった年で、ラッキーだったのかもしれません。
実は留学していた時、本当はイギリスに残って働きたかったんです。でもその時、手に職もなかったし、イギリスで英語教師をやるのも無理なので、泣く泣く帰国したわけです。日本語教育能力検定試験に合格したことで、これで海外で働ける!と思いました。
――それで実際に海外にいらっしゃったのですか。
はい、インターネットの求人案内で見つけて、韓国に行きました。日本人がほとんどいない地方の小さな日本語学校でした。
――韓国を選んだのはどうしてでしょう?
韓国に興味があったというのもありますが、当時(20年ほど前)、海外の日本語教育機関の中で韓国は給料の水準が他の国より高かったからです。といっても田舎だったので日本の3分の一くらいの月収でした。貯金はできませんでしたが、そこで暮らすには十分な額だったと思います。そこで1年3か月ほど日本語を教えました。
営業の世界を経験
――日本に戻られてからは?
留学生対象の日本語学校で教えました。初めは非常勤として入り、2,3か月後には常勤になりました。そこで6,7年ぐらい教えたのですが、やりがいのある仕事ではあったものの、受験指導として毎年、EJUとJLPTをひたすら教えて、の繰り返しで、ずっとこのままでは私自身の成長がないのではないかと不安に感じてきました。それで、もうちょっと別の世界も見てみたいと思うようになったんです。その時、たまたま学校の営業担当の方が辞められて、新しい担当者を探していました。それで「私、やります!」と手を挙げて、営業の仕事をすることになりました。
――日本語を教えることはせず、学生募集の営業の仕事だけをするということですか。
はい、そうです。自分としてはちょっと軽く見ていてそんなに大変だと思っていなかったのですが、社長には「度胸がある」と言われました。私は将来独立ということも考えていたので、営業の手法やスキルを勉強出来たらという気持ちもありました。
――日本語教師は実際に営業の方がどんなことをやっているのか詳しく知らない人も多いかと思いますが。
ベトナムやネパールなど7か国ぐらいを一人か二人で回って、学生を集める仕事でした。とはいえ、そう簡単に学生は集まらないので大変です。現地のエージェントさんと関係を築きながら一緒に企画を立て、セミナーを開いたり、イベントを行って人を集めて話をしたりしました。留学フェアに参加することもその一部です。そういう経験があったので営業のノウハウや経営について知ることができました。また、エージェントさんの世界の裏事情も知ることができました。世間で言われているような、いわゆる「悪徳」エージェントは全体のごく一部です。今でもその時お付き合いのあったエージェントさんと繋がりがあったりします。
――日本語を教えることと、学生を集めること、両方の世界を知っているのは貴重な存在ですね。
そうですね。営業をした経験は日本語教育の構造全体を見る時の視点としては役立ちました。ただ、仕事としては大変過ぎて精神的にも体力的にも限界を感じ、1年ほどでその学校を辞めました。
日本語を教えるだけではなくコース作り、教材作りも
――その後はどうされたのでしょうか。
学校を辞めた後、自分がやりたかった主婦向けの日本語教室の企画をして、売り込みに行きました。ボランティアの日本語教室に来るのは男性が多く、女性は家庭で子どもの面倒をみなければならない。なので、教室に来たとしても続かないのを見ていて、なんとかしたいと思っていました。それで今までにないような在宅で勉強できるシステムを作りたいと考えたのですが、日本語教師としての経験も浅かったので、そううまくはいきませんでした。半年ほどで諦めて、今度はフリーランスの立場で契約をして、社会人向けの日本語学校で教えることにしました。
そこは、留学ビザではなく、欧米の方中心のビジネスパーソンや生活者の方が来る学校でした。その学校で、日本語を教えるだけでなく、以前の学校で身に着けたスキルでJLPTのクラスやビジネス会話のコースの立ち上げに携わりました。もちろん授業も担当していて、教えること+コース作り、教材作り、さらに日本語教師向け研修も担当していました。
それに学校以外での個人の活動や語学の勉強も加わり、仕事が徐々に増えていき、朝早くから仕事に出かけ、帰宅は夜の12時というような生活になってしまいました。ある時、限界が来て、首がバキーンと痛くなりました。椎間板ヘルニアでした。痛みが凄いんです。電流みたいな痛みで生きている心地がしません。立っていても座っていても痛くて。それが体からのサインだなと気づき、働き方を変えなければいけないと思うようになりました。とにかく仕事量を減らさなければと。しかし収入を減らさずに、働く時間を減らすにはどうしたらいいかと真剣に考えるようになりました。
――その考えが独立へと繋がっていくわけですね。
やりたいことをやるために独立
――元々独立してフリーランスとしてやりたいという考えをお持ちだったようですが、それはどこからきているのでしょうか。
やりたいことがやれるということですかね。例えば留学生の学校なら、進学のための教育ということで、やることが決まっていて、対象者も決まっています。私はもう少し、今困っている人、困っているけど方法がないという人の支援というか役に立ちたいという思いがあるんです。初めに考えた主婦のための在宅日本語教室もその一つですが。
そして2019年にキャリアコンサルタントを前面に出して独立をしました。それがLanguage Plus Oneです。それはキャリアの相談をする場所がなくて困っている人が多いというのが分かったからです。ビジネスパーソン向けの日本語学校で教えていた時も、キャリアについての相談を受けることが多かったんです。面接練習もしました。どうして日本語学校で?と思ったら外国人がキャリアの相談ができる場所が日本語学校しかないんですね。初めは資格もなく一人の大学生の就職についての相談を受けていたのですが、キャリアコンサルタントという資格があると知り、受けることにしました。受けてみると思ったより内容が深かった。心理学やキャリア理論から日本の法律や制度まで詳しく学ぶことができ、思った以上の成果が得られました。中でも労働者に有利な制度がたくさんあるのに、それらが知られていないためにほとんど利用されていないことを知ったとき、これは仕事にしなければならないと思いました。日本人にもあまり知られていないのだから、外国人にはもっと知られていないだろうと。
独立してすぐは、学校や企業の日本語研修など依頼されたものに応えるだけで精一杯で自分で何かプログラムを作ってということはできませんでした。つまり商品がなかった。今考えると怖いですね。でも様々な場所でこれまでにない経験ができたのはとても良かったです。特に日本語教育外の方との接触が増えていきました。次の年にコロナのパンデミックが起こりましたが、その前から独立後の仕事は90%がオンラインでやっていたので、特に影響はなく、というよりかえって仕事が増えました。それはある意味ラッキーでした。
その後、2021年に学習アドバイザーという講座を受け、資格をとりました。日本の大学でしたが英語の講座で先生も参加者も外国人でした。私は英語を使ったキャリアカウンセリングという新しい方向性を考えていた時で、その訓練の意味でそれを受けたのですが、アドバイザーの勉強にはカウンセリングの知識も入っていて、とてもいい機会になりました。学習アドバイジングというのは要するに学習コーチングなんですね。自分の日本語教師としての経験や知識とコーチングの知識が使えるところが魅力です。対象は学習者ですが日本語教師もメンタリングという形でかかわることができる。そういう意味では広く、同業者のサポートもできると思っています。現在はまだ独立した商品にはなっていないのですが、自分のメニューの中に入れていきたいと思っています。
Language Plus Oneに込めた意味
――Language Plus Oneという名前には何か思いがありますか。
外国人にとって日本で生活していくのに、日本語が話せるだけでは不十分です。日本語以外に自分が過去にやってきたことが強みになります。日本に来て、日本語が話せなくて、何もできなくなってしまったと自信を無くす人が多いんですが、あなたは既に持っている、あなた自身の強みがあるということを伝えたいんです。もしなければ今から身に着けていけばいいだけ。そういう応援をしたいと思っています。
そして日本語教師の人たちには、日本語を教えるだけではなく、日本語を教えることにプラスして自分の強み、自分の過去のキャリアを活かせれば、もっと自分に合った働き方ができるんじゃないかと思うのです。だから日本語にプラスして自分の強みを活かしましょうということですね。
――これからやっていきたいことについて教えてください。
仕事については本当にいろいろあって話しきれないのですが、あえて個人的なことを言うと、今後海外と日本を行ったり来たりしたいと思っています。これは日本語教師になった時の望みに戻るんですけど、
海外でも活動したいです。特に、ほかの国の人と協力して何かを作ることに、すごくやりがいを感じます。今年ネパールに行って、教師研修をしたんですが、現地の人と同じ目標を持って一緒に必死になってやったことが凄く楽しくて、国籍や言葉の壁は全くありませんでした。これから他の国でもそういう機会を増やしていきたいと思っています。
それから、キャリア支援の方も、ただ就職、転職支援も面白いのですが、起業の支援をしてみたいなと思っています。自分もやりたいことが見つかって、やろう!っていう時に、その一歩を踏み出すのが非常に難しかったので、転職以上に外国人にとって起業はハードルが高いんじゃないかと思って、自分の経験も併せて支援したいと思います。実は学習者だけでなく日本語教師からのキャリア相談も多いので、起業相談も外国人だけでなく日本人の方にも同じようにできるのではないかと思っています。
――これから日本語教師になりたい人に何か一言アドバイスをお願いします。
専門性を持ってほしいです。専門性とは、そこに自分が時間とお金をかけたところです。今まで過去に自分が真剣になってやったことを思い出して、今の仕事にも活かしていくと、キャリアの積み重ねを感じられるのではないでしょうか。そして、その専門性を他の人に説明できることも大切です。リストでもいいので、それらを書き出しておくといいのではないでしょうか。
Language plus Oneのホームページ:https://www.language-plus-one.com/
取材を終えて
現在、田中さんは大学の日本語授業や留学生のキャリア授業、企業の日本語研修、個人の学習者の日本語レッスンやキャリアカウンセリング、日本語学校での授業に加え、東京都の外国人相談窓口でのカウンセラー、さらに他業種の方とコラボしたセミナーやキャリアコンサルタントのための英語でのカウンセリング勉強会などもなさっているそうです。仕事以外ではベトナム語講座の主催も。中でも外国籍の方へのキャリアコンサルティングの普及活動に力を入れていて、2か月に1回、無料でキャリアカウンセリングが受けられるイベントもやっているそうです。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。7年前よりフリーランス教師として活動。
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