よく学習者から「日本人と雑談がうまくできない」という言葉を聞きます。「雑談」と聞くと、私たちが普段しているような何気ない会話のイメージが思い浮かびます。じゃあ、それを教えればいいの?雑談で使われている会話表現を覚えて使えるようになれば、それで雑談ができるようになるの? そんな疑問を持ち始めたところから、私の「雑談を教えることとは?」の探求が始まりました。この記事では私が取り組んでいる「雑談の授業」の紹介を通じて、「雑談を教えるということ」について考えていきます。第1回では「雑談の捉え方」を、第2回では「雑談の授業の実践」をご紹介します。(執筆:加須屋 希)
「雑談」とは何か?
以前、私が受け持った「雑談の授業」でのことです。私は日本国内の日本語学校で教えていますが、大学や大学院への進学を目指す上級の学習者を対象に雑談の指導をしていました。そこで授業の初日に集まった学生に、簡単な質問をしました。
教師:この週末は家で何をしましたか?
学習者1:勉強しました…
学習者2:買い物に行きました…
全員:……
教師:それから…?
全員:終わりです…
なんともシンプルなやりとりで会話は終わってしまいました。それから3か月間、雑談の授業を週に1度おこない、最後の日にした会話です。
教師:土日は何してたの?
学習者1:私の好きなアニメのグッズの発売日だったので、池袋に買いに行ったんですけど、すごい行列で大変でした~!
学習者2:えっ、〇〇さん池袋いつ行ったの?私も週末行ったよ。ロフトでこんなぬいぐるみ(携帯の写真を見せながら)があったんだけど、高かったから写真だけ撮ってきたの。
最初の授業での会話を聞いて足りないものを分析し、雑談の授業として実践した結果、3か月後にこのような発話ができるようになりました。
そもそも「雑談」とは何なのでしょうか。「雑談」の定義は解釈によってさまざまですが、辞書をひくと「さまざまの談話。とりとめのない会話。(「広辞苑」(第六版))」とあります。つまり、内容に達成目標がない会話が「雑談」です。では、私たち人間が雑談をする理由は何か、と考えると「雑談の行為そのもの」に目的があるのだと思います。そしてその目的は「人間関係を円滑にするため」であると思います。
これを踏まえて、私は雑談を「人間関係を円滑にするための言語活動、および身体的動作」と定義しています。ここには「話す」「聞く」に限らず、「読む」「書く」も含まれます。また「身振り」や「相槌」、会話をする時の「身体的距離」なども含まれると定義しています。
「日本語の読み書きは上手だけど、なかなか日本人とうまく雑談ができない。コミュニケーションがとれない」
そういった話をよく聞きますが、学習者は決して「会話ができない」わけではありません。多くの学習者は日本語学習の過程で「お礼を言う」「謝罪する」「道を尋ねる」といった会話を勉強しています。そして、日本に住んでいるのであれば、生活や学校でのやりとりを毎日、日本語でおこなっています。しかしなかなか雑談に結びつかないのはなぜでしょうか。具体的に雑談が苦手な(あるいは、自身が苦手だと感じている)要因は何なのかを大きく3つに分けてみました。
雑談が苦手な要因①:雑談のための日本語表現を知らない
一つ目は会話表現の知識によるものです。教科書や教材を使って学習する場合、会話の表現というと会話全体の「本題」の部分が多く、課題遂行の表現の学習はしていますが、その前後のやりとりに関してはあまり多くを学ぶチャンスはありません(もちろん、雑談表現の学習を中心とした教科書もあります)。また、最近では日本のアニメやドラマで学習する人も多いですが、ここでの会話というのも、雑談的要素はなかなか出てきません。
コロナによる自粛期間中のオンライン授業で、学習者から「日本人の友達とZoomで飲み会をすることになったんですが、終わりにしたい時には何と言えばいいんですか?」と聞かれたことがありました。それを聞いていた他の学習者も「会話を始める時よりも、終わらせる時の方がわからない。難しい」と口をそろえて言っていました。さらには「会話の終え方が分からないから、始めたくない」という人まで。
この発言にはハッとさせられました。これこそ「雑談の授業」で教えるべきことだ、と思いました。
雑談が苦手な要因②:「雑談のネタがない」と思い込んでいる
「物知りで話題が豊富な人は誰とでも、どんな話題でも盛り上がれる」「それに比べて自分は話題も乏しく、会話が盛り上がらないんじゃないか…」としり込みする人は意外と多いです。しかし、実のところ話題が豊富な人というのは、「どんな話題でも『つまらない』と思わない人」なのです。そういう人は、自分がよく知らない話題が出ても、興味を持って質問をしたり、些細な内容でも、それを拾って話を広げたりすることができるのです。そして、日頃から世の中のさまざまなことに興味を向ける姿勢を持っています。だからこそさまざまな情報を吸収でき、結果として話題が豊富になっていくのだと思います。
学習者で「自分は話題が乏しい」と言っている人の中には、自分の興味があるものにだけ熱心に目を向け、興味のないものや関係のないものには近づかない、といった姿勢が感じられます。まずは色々な情報や話題に触れてみることで、興味の幅が広がることもありますし、更には「自分が知っていることも、相手に話してみたら話が広がるかもしれない」という考えに結びつくかもしれません。私は「雑談の授業」の中で「自分が持っている情報の価値」に気付いてもらうことを授業の大きな目標の一つとしています。
雑談が苦手な要因③:雑談に対する捉え方の違い
ある時、学習者と「沈黙」について話をしました。その時まで知らなかったのですが、とある学習者の国では、たとえ目上の人と二人きりでいる空間で沈黙が流れたとしても「失礼」や「気まずい」といった感覚にはならないとのこと。そこでお互いが携帯電話をいじって無言の時間になったとしても、特に失礼にはあたらないそうです。
日本では二人きりだったり、まして相手が目上であれば、沈黙にならないようにあの手この手で会話を続けることが当たり前ですが、その学習者の国ではそれが当たり前ではなかったのです。その時、私が今まで感じていた「(学習者が)なかなか雑談をしない」という違和感の理由が分かった気がしました。地域や文化によって「雑談」が使われている場面、必要とされている場面が違うのです。むやみに「雑談しろ」と言ってもできないのは当然です。学習者も私も「沈黙」に対する捉え方の違いにびっくりした瞬間でした。また、この話をした後、積極的に雑談に参加するようになった学習者がたくさんいました。
「雑談の授業」では早い段階で「沈黙」の話の他にも、前述の「雑談とは何か」についても伝えるようにしています。
「雑談」に対する発想の転換
雑談ができるようになる方法は、正解は一つではないと思います。学習者一人一人の性格やバックグラウンドによるところが多いですし、一定期間のみで習得できるものではないと思います。私は授業では「雑談に対する発想の転換」をゴールとしています。雑談を単に「目的のない会話」と捉えるのではなく、「生活が楽しく便利になるもの」や「(特定の場面では)不可欠なもの」という視点で付き合えるようになるのがゴールです。ここで少しでも学習者の中の認識が変われば、あとは自ずと身についていくことだと思います。
雑談についての教師側のはっきりとした認識も必要だと思います。雑談とは何か、どんな役割があるのか、学習者と自分との捉え方にどんな違いがあるか。そういったことを日頃から観察し、考えておくことが大切だと思います。
第2回では、この記事で挙げた3つの「雑談が苦手な要因」について、具体的に授業でどのような活動をしているかをご紹介します。
参考:清水崇文『雑談の正体』(2017,凡人社)
※第2回はこちらから
執筆:加須屋 希
ユニタス日本語学校東京校で専任として働く日本語教師。大学院、大学、専門学校に進学する留学生を中心に日本語を教える。日本語学校でのオンライン授業導入や、「自分で考え、表現する学習者のための授業」を取り入れるなど、これからの日本語学校や日本語教師の在り方を模索し、実践している。
趣味はディズニーランド、シーを散歩すること。1か月に一回の割合で通う、自称「ディズニーランドマニア」である。
※加須屋さんにインタビューした記事はこちらから
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